2016年6月17日発行

【パリの空の下から〜国際行政官の視点】⑩〜イギリスのEU離脱をめぐる論議

デイヴィッド・キャメロン英国首相/Wikipediaより

【6月17日、mulan=パリ】


■現実を帯びるBrexitの可能性


最近、ヨーロッパにおける大きな関心事の一つは、6月23日に行われるイギリスの国民投票の行方だ。イギリスがEUを離脱するか、残留するかを問うものである。イギリスのEU離脱は、BritainとExitを合わせたBrexitという造語で通称されている。この国民投票は、2015年の総選挙に際して、キャメロン首相が党内のEU懐疑派をつなぎとめるために、公約として実施を約束した。キャメロン首相自身は、一貫してEU残留を呼びかけているものの、国民投票自体は公約であるため行わざるをえない。

当初は、よもや国民の多数がEU離脱を支持するようなことにはならないだろうと楽観していたのかもしれないが、世論調査で離脱支持が残留支持に拮抗していることがあきらかになり、にわかにBrexitの可能性が現実味を帯びてきた。

フィナンシャル・タイムズ紙やThe Economistなど、イギリスの主要な経済メディアは明確に残留を支持する論調を張っている。また、イギリス財務省や、IMF、OECDなどの国際機関、世界の経済専門家の多くが、EU離脱はイギリスに大きな経済的損失をもたらすと警告している。キャメロン首相は、アメリカのオバマ大統領や、G7各国の首脳から、イギリスのEU離脱への懸念の表明を引き出した。OECDのグリア事務総長も、スピーチの中で、イギリス人がEU離脱によって被る損失は、見返りのない増税のようなものだと明言している。

外から見ると、イギリスが大きな経済的リスクにも関わらずEU離脱へ向けた国民投票を行うこと自体、非合理的な自傷行為のようにも思える。しかし、イギリス人の中には、EUに加盟していることにより、移民が増大して職が奪われたり、様々な望まない規制を押し付けられたりしているという意識も根強い。また、イギリスは、EU内の他の大国であるフランスやドイツと異なり、EUの前身であったヨーロッパ経済共同体のファウンディング・メンバーではなく、現在も共通通貨ユーロを導入していないなど、EUに対して常に「半身」の姿勢がある。

筆者は合計5年間イギリスに在住したが、イギリス人がしばしば、ドーヴァー海峡を越えて大陸へ渡ることを「ヨーロッパへ行く」と表現するのを聞いたことがある。つまり、自分達がヨーロッパの一部であるという意識が薄いのである。EU離脱派がここまで勢いを得ているのは、経済的な論理ではなく、イギリス国民の感情に火を付けているという面もあるだろう。


■国民投票という直接民主主義が持つ功罪


投票の行方に関してはメディアに様々な情報・推測が飛び交っているが、内外の権威ある機関・人物による、残留を支持する言説も、イギリスの国内世論にはあまり影響を及ぼしていないように見える。国民投票が間近に迫る中、直近の世論調査のいくつかで、離脱支持が残留支持を上回る結果も出ており、両陣営の支持は伯仲している。概して、高齢者に比較的離脱支持が多く、若年層に残留支持が多い傾向があるという。だが、選挙の投票率は高齢者の方が高いため、全体の投票率によっては、世論調査よりも離脱派が有利になる可能性もあるようだ。

キャメロン首相もそれは認識しており、特に若者に、残留への投票を行うよう重点的に呼び掛けている。いずれにせよ、2015年の総選挙でも事前の世論調査とは大きく異なる結果が出ており、今回のような国民投票はほとんど前例がないため、より事前予測は困難と言われている。蓋を開けてみるまで、何が起こるかは分からない。

Brexit問題に関しては、ここで触れるには有り余るほど多くの論点があるが、国民投票(レファレンダム)という直接民主主義的手法が持つ功罪についても注目に値する。イギリスでは2014年にも、スコットランドの独立の是非を問うレファレンダムが行われた。これは、国民全体ではなくスコットランドの住民による投票であったが、投票率は8割を超え、結果としては残留となったものの、多くの市民が自ら、地域の未来について議論するきっかけとなったとの評価もある。今回のBrexitについても、国の将来を決める投票であり、結果の予想がつかないこともあって、多くの人々が、一票を投じることの重みを実感する機会となるかもしれない。

だが、こうした国民投票が注目を集めることは、今日のほとんどの民主主義国家が、間接民主主義(代議制民主主義)を採用してきていることの意味についても問い直すこととなる。もちろん、よほどの小国でない限り、国政の課題をいちいち国民投票にかけることは物理的に難しい。

また、政治・行政においては、複雑な対立しあう要素を総合的に判断しながら方向を決めていく必要があるが、国民投票は、ひとつの論点のみを取り出して択一で回答を求めるものであり、短絡的な世論に流されやすい。有権者が自らの手で国の方向を決めるというのは重要なことであるが、今回のBrexitのように、将来の世代まで影響が及ぶ事項については、将来の国民のことまで配慮した慎重な判断が求められる。

政府首脳を含むEU残留支持派は、データを並べ、内外の識者を動員して離脱派を論駁する議論を重ねても、一向に弱まらない離脱支持派の勢いに、国民投票という手法に伴うリスクをひしひしと感じているのではないだろうか。他方で、こうした国民投票に依拠せざるをえない今日の状況自体が、伝統的な政党を中心とした間接民主主義が直面する課題の大きさを示しているようにも思われる。いずれにせよ、6月23日の投票の結果と、それを受けたイギリス、そして世界の動向が注目される。【了】

※本稿は個人としての見解であり、筆者の属する組織の見解を代弁するものではありません。


(筆者プロフィール)
高田英樹/たかだ・ひでき
1995年に東京大学法学部卒業後、財務省(旧大蔵省)に入省。1997年から99年に英国留学。2003年から06年に、英国財務省で勤務。2009年に民主党政権下で新設された「国家戦略室」の最初の職員として抜擢された。主計局、主税局等で、主に財政政策に携わる。2015年7月より、パリ・OECDに出向。個人blogに日英行政官日記(http://plaza.rakuten.co.jp/takadahmt)がある。


高田英樹 パリの空の下から 政治・経済,