2016年3月18日発行

【ベルギー便り しなやかで強かな女性外交力】⑮〜ブルジョワによって育てられた芸術、アール・ヌーヴォー

ポール・コーシー邸

【3月18日、mulan=ブリュッセル】


■アール・ヌーヴォーはブリュッセル生まれ

ブリュッセルの街を散歩していると、時々、素敵な建物を見かけて、思わず立ち止まることがあります。たいていが「長屋」のように壁がつながって立ち並んでいる3階建てぐらいの細長いタウンハウスの家の一つなのですが、バルコニーやファサードの優雅なデザインや繊細な細工に目を見張ります。個人的に、ブリュッセルで最も気に入っている建物は、現在、楽器博物館として使われている元Old Englandという名前のデパート。鉄とガラスを多用した凝った外観で目を引く、印象的なデザインです。いわゆるアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)建築とよばれる装飾美術です。

実は、アール・ヌーヴォー、ブリュッセル生まれなのです。19世紀末から20世紀初めの約20年間、アール・ヌーヴォーは文字通り「新しい芸術」としてブリュッセルに誕生、発展、そして衰退を迎えました。

1870年から1910年にかけて、ブリュッセルの人口は、250,000人から850,000人に一気に増加し、街は郊外に広がっていきました。産業革命の影響で、商業や工業で新たな富を得た新中間層、ブルジョワが、ブリュッセルの活力の中心となっていきました。新中間層は自己の現代性をアピールしたいと考える進歩的な人々で、その感覚にあったのが、このアール・ヌーヴォー。ブルジョワたちが個人の邸宅の建設を依頼する形でパトロンとなり、新たな芸術が育っていったのです。

アール・ヌーヴォー建築の特徴は、産業革命で大量生産が可能となった鉄とガラスの使用、植物に由来した曲線で構成された自由な表現。過去の様式の模倣からの離脱、日常生活の中で装飾の完全な調和を目指した芸術といわれています。

最も有名な建築家は、ヴィクトール・オルタ(Victor Horta)。オルタの設計した「タッセル邸」が最初のアール・ヌーヴォー建築の建造物とみなされています。オルタの「タッセル邸」「ソルヴェイ邸」を含む邸宅群は、オルタの主な都市邸宅群としてユネスコの世界遺産にも登録されています。3,4階建ての石造建築に、鉄細工、円窓、ステンドグラス、タイル、モザイクなどをふんだんに使用、タウンハウスの抱える暗さと狭さという問題を採光とオープンスペースの確保で解決しつつ、階段、室内装飾、家具に至るまで、ディテールへのこだわりが光ります。


■ジャポニズムの多大な影響


当時の美術界の例外ではなく、アール・ヌーヴォーもジャポニズムの影響を受けています。オルタも、日本の版画などに惹かれ、日本の美術品収集もしていたそうで、オルタの建築物でも、空間表現、構図、モチーフなどにその影響を感じることができます。

第一次大戦開始とともに、装飾過多ともいえ、コストがかかるアール・ヌーヴォーは、より大量生産になじむ現代的で直線や流線を用いたシンプルなアール・デコに移行していきました。

現在、ブリュッセルには約1,000のアール・ヌーヴォー建築が残っているそうです。ブリュッセル市で出版している、Brussels Art Nouveau地図には約160の建物がピックアップされています。ほとんどが個人の家なので残念ながら中に入ることはできません。オルタ美術館(オルタ邸)、建築家ポール・コーシー(Paul Caushie)のコーシー邸などごく一部ですが、内部を見学することができます。コーシー邸は、スグラッフィート(注:フレスコに似た壁の装飾技法)を用いたファサードが大変目立ちますが、これは当時、コーシー邸は自宅兼アトリエ兼事務所で、建物そのものが広告であったからだそうです。

ブリュッセルを訪れてお時間があれば、ぜひ、グランプラスだけでなく、アール・ヌーヴォー散策、お楽しみ下さい。【了】


※筆者の個人的な見解で、所属する組織の公式見解ではありません。


栗原恵津子(くりはら・えつこ)
1995年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、外務省入省。1996-1998年、英国ケンブリッジ大学留学、その後、英国、ブルネイでの在外勤務を経験。東京ではアフリカ、西欧、経済連携協定、ユネスコなどを担当する部署で勤務。2014年1月にベルギーに赴任、広報文化全般を担当。

ブリュッセルには約1000のアールヌーヴォー建築が残っている

楽器博物館として使われているデパート「Old England」


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