2016年3月15日発行

【パリの空の下から 国際行政官の視点】⑦〜ヨーロッパの難民問題その2

アンゲラ・メルケル独首相/Wikipediaより

【3月15日、mulan=パリ】


■メルケル独首相の「受け入れ」表明


前回のコラムにおいて、ヨーロッパが現在直面する最大の課題の一つは、難民問題(refugee crisis)であることを紹介した。この問題については様々な紆余曲折を経ており、今もリアルタイムで状況が動いている。

難民問題の一つの転回点となったのは、昨年9月初めに、ソーシャル・メディア上に公開された写真である。地中海を渡ろうとしたシリア人一家の乗ったボートが転覆し、溺死した男の子が、あたかも打ち捨てられた人形のようにトルコの海岸に流れ着き、拾い上げられる様が克明に映されている。このイメージは瞬く間に世界を駆け巡り、各国の首脳達にも大きな衝撃を与えた。なぜヨーロッパは、この男の子を救うことができなかったのか。難民問題への対処を求める国際世論は、このとき最高潮に達する。

こうした中、ドイツのメルケル首相は、難民は最初に到達した国で難民申請をしなければならないとするEUのルールに目をつぶり、より多くの難民をドイツで受け入れることを表明する。この方針については、ドイツ国内でも、周辺国でも、賛否両論がある。その適否はともかくとして、多大なリスクを覚悟でこうした決断をすることのできるメルケル首相は、やはり世界で第一級の政治家といえよう。

だが、これで難民問題が解決に向かったわけでは全くない。ドイツ一国ですべての難民を受け入れることは困難であり、EU全体として、各国に応分の負担を割り当てる「クオータ制」が提案されているが、これに全ての国が合意しているわけではない。また、ドイツ国内でも、急速に増大する難民の流入に、行政対応が追い付かない等、メルケル首相に対する批判の声も高まっている。


■同時テロ事件で、移民やイスラム今日に対する不安感が助長


こうした中、本件について、さらなるターニング・ポイントとなる事件が生じる。その一つは、昨年11月13日、パリで発生した同時テロ事件だ。イスラム過激派である実行犯達は、フランス国籍を有しており、難民・移民問題とは本来全く次元が異なるのだが、この事件は一部の人々の間に、移民やイスラム教に対する不安感を芽生えさせ、助長させた可能性がある。実際、その直後に行われたフランス地方選では、露骨に移民への警戒心を煽る極右政党が大きく躍進した。

そして、大晦日の夜、ドイツのケルンにおいて、多数の女性が暴行を受ける事件が発生する。その容疑者に、難民申請者が含まれていたことが分かり、難民問題に関する世論に大きなインパクトをもたらした。もちろん、仮に犯罪者の中に難民申請者がいたとしても、それは難民全体のごく一部にすぎず、この事件と難民問題を短絡的に結び付けることは適当ではない。しかし少なくとも心理的には、この種の事件が、難民全体に対する不安感を増大させうることは想像に難くない。

本件が明らかになった直後には、これで難民問題の議論は一変するだろうとの報道も多く見られた。また、一部の論調には、本件を、難民の多くが属する文化圏における、女性の権利に対する認識の相違(欠如)と結び付けるものもある。これは偏った意見であるかもしれないが、こうした論調が存在すること自体、難民問題の根底には、地域・民族間の文化的なギャップが横たわっていることを物語っている。


■国籍、国家とは何なのか


難民問題の難しさは、それがより広い、移民の論点と密接に関連し、究極的には、国籍、国家とは何なのかという問いに行き着くところにある。難民・移民の受入れに肯定的な論拠の一つに、その経済的な効用が挙げられる。これは、私が勤務するOECDをはじめ、多くの機関における研究でも示されている。特に、少子化、高齢化が進む先進国においては、移民は労働力の供給源となりうる。また、移民というと、アジアやアフリカの開発途上国から欧米の先進国への人の流れを典型的に想像するが、それだけではない。

過去には、ヨーロッパの人々が海や大陸を渡り、アメリカ合衆国を創り、また、多くの国を植民地とした。それはさすがに歴史を遡り過ぎているかもしれないが、現在でも、多くのヨーロッパ人が、より良い経済環境、職場を求めて、例えばアメリカなどに移住している。これは、動機としてはヨーロッパへの移住を求める経済移民と変わらない。こうした側面を無視して、ヨーロッパを専ら「受け入れ側」とみなすのは偏っているとの議論もある。

日本は、ヨーロッパの難民問題について、直接の当事者ではない。しかし、本件は、難民・移民の問題について、改めて学び、考えるきっかけとなるだろう。私が日本経済について外国人と議論すると、なぜ日本はもっと移民を受け入れないのか、と問われることがしばしばある。少なくとも現在の政府は、少子化・人口減少への対策として、移民の受入れを進めるという立場には立っていない。それは狭量に過ぎるとの見方もあるだろうし、他方で、人口やGDPの規模を維持するために移民を増やすというのは、本当に正しい目的と手段の組み合わせなのかどうかという議論もあろう。

これは決して簡単な問題ではないし、私自身も定見があるわけではない。だが、いずれにせよ、ヨーロッパの事例を単に対岸の火事として傍観するのではなく、それを自らの立場に置き換えて考察することが重要なのではないだろうか。【了】

※本稿は個人としての見解であり、筆者の属する組織の見解を代弁するものではありません。


(筆者プロフィール)
高田英樹/たかだ・ひでき
1995年に東京大学法学部卒業後、財務省(旧大蔵省)に入省。1997年から99年に英国留学。2003年から06年に、英国財務省で勤務。2009年に民主党政権下で新設された「国家戦略室」の最初の職員として抜擢された。主計局、主税局等で、主に財政政策に携わる。2015年7月より、パリ・OECDに出向。個人blogに日英行政官日記(http://plaza.rakuten.co.jp/takadahmt)がある。近著に日本の財政の『真実』


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